むかついたのでむかついたことを記録しておく。
春じゃないのに、いろんな人が出てきているようで。
数ヶ月前のエントリーが急にアクセスを集めることはブログを書いてればよくあることなんだけど(芸能人の名前とか、バナナとか納豆とか書くと特に)どうでもいい話が取り上げられるとびっくりしますね。
ぼくが3ヶ月前に、
ほんとバカ。あ、言っちゃった。まあ人に嫌われるのはしょうがないなと思ってはいるんだけど、こうして声が届くとやっぱりいい気はしませんね。
ていうかぼくのこと嫌いなら読まなきゃいいのに。ぼくは嫌いな人のブログなんて読まないけどなあ
って書いたエントリーを取り上げて
でも悲しいことにググるとときどきひっかかるんですよね~、このクソつまんねーブログ。俺もできれば読みたくないと思ってます。でもうっかり読んじゃったときのガッカリ感もわかってほしいな。
とコメントされたり、それをさらにリブログ(?)されたり。
クソつまんねーブログかー。別に書きたいように書いてるだけなので、そんなにおもしろいとは思わないけどさ、ちょっと凹むわ。なんでそんなこと言うんだろう。うっかり読まないだろ。うっかりクリックすることはあっても読まずに戻ればいいんだから。Backspaceキーを押せば戻れますよ。
さらに言えば、ガッカリすればコメントに何を書き残してもいいのかと。ガッカリさせちゃったのは申し訳ないけど、だからといってクソつまんないコメントを書くことが正当化されない。
あーやだやだ。
どうすればこういう人と出会わずにすむのかなあ。嫌われてるよなあ。











コメント(9件)[コメントだけのRSS]
自分のブログ上でとはいえ他人をバカとか言えば、それに対して少なからずネガティブな反応が返ってくるのは仕方無いことじゃないですか。
人を見下したような発言をする時はそれぐらい覚悟するべきだと思いますよ。
単なるネガティブの連鎖なので、「つまんねーブログ」と言われたことそれ自体に対していちいち凹んだり腹を立てても、時間の無駄とまでは言いませんがあまり意味が無いかと。
投稿者: 通りすがり | 2008年11月12日 03:16
大の大人が小さいことでくよくよしているブログはここですか?
書きたいように書いてるだけなら反応したいようにさせるだけでしょうよ。
投稿者: | 2008年11月12日 03:53
人を見下した発言というか、そもそも見下されてたコメントを残されてるのがきっかけなので、ちょっと違うと思う。
相手にするのは時間の無駄、というのはわかりますけど。
コメントを承認制にしたところで、ぼくが読んじゃうことには変わりないのでそうするつもりはありませんが、いやーな感じです。
またこうして匿名でコメントされるのも、ほんとめんどくさい。
投稿者: 河野
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2008年11月12日 07:56
外を歩いていて雨に遭えば、傘がなければ濡れるし、うちにいても屋根がなければ、やっぱり雨が降ってくれば濡れるって事でしょう。
傘や屋根を用意すれば濡れずに済みますね。
でも、傘や屋根の下にいると感じられない雨の冷たさ、温もりがあるのも確かです。
あまり、びしょ濡れになって風邪を引くようなのも困りものですけれど、雨に降るな、というわけにもいかず A^^;
まあ、ブラウザのフィルタリングシステムがそういう方面に発達すれば、見たくないものは見ないで済むようになるかもしれないとも思いますが、あえて、それを使わずに、むかついたり、がっかりしながら、うれしかったり、感動したりするものを探し続ける旅人は、割とたくさんいるような気がします。
投稿者: Tiger | 2008年11月12日 08:48
Tigerさん、コメントありがとうございます。
どうにもなんないというのは(諦め入ってますけど)わかります。でもネットの使われ方としては悲しいです。
こんなのがはてブされてるのを見ても、ぼくらは何をシェアしてるんだろうと。
けっきょくトレードオフであることは受け入れざるを得ないので、ブログ書いてて良いことを思えば、多少のノイズはしょうがないんでしょうね。
投稿者: 河野
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2008年11月12日 09:35
インターネットは、結局「人間」をシェアしているんだと思います。
「人間」の素晴らしさもも愚かさもそのまんま。
ネットが特別のものであった頃は、積極的にプラスの意識を持って参加する、使う人が多かったから、それが一種のフィルターになっていました。
でも、今や、それこそ息をするようにネットに生きている人がいる時代ですから…ゴシップやワイドショーを好む人、興味を持つ人がいるように、ネットもそういう人が当たり前にいて当然なんだと思います。
だからこそ、人間フィルターとしてクチコミやソーシャルなツールがネットで重要になってきているんじゃないでしょうか(笑
投稿者: Tiger | 2008年11月14日 09:53
そうですね。ただパソコン通信時代から変わってないですけど、「ネット人格」というのもたしかにあって、会うとおとなしいのに、オンライン上では攻撃的な人はけっこういます。
もちろんそれはその人が元々持ってる人格のひとつで、実生活では抑圧されてて出せてないだけなんでしょうけど、そういうのを平気でネットでぶちまける人が(ネットユーザーの増加や利用シーンの拡大に比例して)増えてきましたね。
素敵な出会いがあるのもネットの魅力だし、その一方で二度と関わりたくない人と出会ってしまうのもネットなわけで、それをどう教えてあげればいいのか、自分自身の身近な問題としてもけっこう悩みます。
誰かに攻撃されるリスクを背負ってまで、誰もがやるべきことなのかと。
投稿者: 河野
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2008年11月14日 15:41
> 会うとおとなしいのに、オンライン上では攻撃的な人はけっこういます。
これはある意味当然なのではないでしょうか ^^;;
だって、顔が見える、手が届く範囲にいれば、物理的に喧嘩する覚悟がなければ、攻撃的なことを面と向かってはなかなか云えないものです(笑
しかし、ネット外でも「陰口」という形では、面とは向かって云えない、ヒドイことを平然と云える人は少なくありませんよね。
ネットというのは、空間や時間という物理的コストや年齢、性別、そして、それらから想定されるスキルといった属性のハードルを大いに下げてくれましたが、そのハードルは、反面、防壁でもあったために、低くなってしまった防壁を人間の攻撃性や感性の違いが易々と越えてくる、というのが「可視化」という形で表れているのだと思います。
このあたり、似たような話が
ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。
http://www.1101.com/umeda_iwata/2008-11-13.html
に、丁度、出ているように思います。
「いったん、仕組みが間に合わなくなるわけですよね。」という状態が、繰り返し起こっているのが、今の状態なのかなと。
> 誰かに攻撃されるリスクを背負ってまで、誰もがやるべきことなのかと。
私は常に得られる利益がコストとリスクに見合うかどうかで判断することだと思っています。
ネットでも、場所を限定したり、書き込みを限定したりすることで、得られる利益は限定されるけれど、コストとリスクのコントロールは可能ですよね。
誰もがどっぷりと首まで、ネットにつかることはないと思うのです。
砂浜で砂遊びしている分には、溺れる心配はなく、それでも十分に楽しいものです。
波打ち際で止まっていれば、強い波に気をつけていれば、危険は少ないでしょう。
それで十分な人を無理に沖に連れて行くことはないと思うのです。
でも、沖で楽しそうに沢山の人がサーフィンしているのが見えてしまうと、誰もがいきなり沖を目指すのですよね ^^;;
結果、途中で溺れて、一生、水に近寄れなくなったり…そのくらいなら、敢えて、引き留めることも必要だったりするんじゃないかなと思ったり。
まあ、江戸時代、紙と竹と木で出来た長屋では、何もかも筒抜けだったけれど、お互い嫌なことは、見ないふり、聞こえないふりをして、日々、生活していたような、なんというか、繊細な鈍感さが、今のネットでも必要なんじゃないかなという気がしています(笑
投稿者: Tiger | 2008年11月15日 01:13
そうですね、可視化の功罪ですね。感情が見えてしまうのは、特に悪意が見えるとかなり相手にダメージを与えます。もっともそれはおっしゃるようにリアルな世界で陰口を言われてるのを聞いたときも同じなんだけど。
絡みたくない人が絡んでくる、それだけでもなんとかしたいものです。
ぜったい溺れずにサーフィンできるスウェットスーツを開発してくれないかなあ。
「ほぼ日」の鼎談はちょうど読もうと思ってたので、後で読んでみます。
投稿者: 河野
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2008年11月15日 01:19